楽譜を「卒業」する話
――グルーヴを手に入れるまでの道のり

クラシックピアノを習っていた人ほど、最初にぶつかる壁がある。

ブルースピアノを弾こうとして楽譜を開く。音符は読める。リズムも追える。でも、なぜか全然それっぽくならない。音は合っているのに、グルーヴがない。

これは楽譜のせいでも、腕のせいでもない。ジャンルの問題だ。

楽譜は「設計図」であって「答え」ではない

ブルースやファンクの楽譜には、書けないことが山ほどある。

シャッフルのハネ具合、スタッカートの「抜き」の深さ、音を伸ばしながら少しずつ力を抜いていくあの感覚。記号では表せても、実際にどの程度なのかは音源を聴かないとわからない。

だから楽譜は、あくまで骨格として使う。「だいたいこんな構造」を把握するためのもの。そう割り切ると、楽譜との付き合い方が変わってくる。

ではそのあとどうするか

音源を何度も聴いて、身体に入れる

まず音源をひたすら聴く。歩きながら、家事をしながら、とにかく耳に入れ続ける。すると「次にこのフレーズが来る」という予測が身体に入ってくる。楽譜を見なくても、流れが見えてくる感覚だ。

ゆっくり弾いて、音を「感じる」時間を作る

ゆっくりなら楽譜を見る余裕が生まれる、ではなく、ゆっくりだからこそ一音一音の「押し方」「離し方」に集中できる。ファンクのカッティングなら、鍵盤を押す深さと離すタイミングだけで音のキャラクターが全然変わる。

楽譜を伏せて、怖くても弾いてみる

これが一番大事で、一番怖い。間違えると分かっていても、楽譜なしで通す。ミスしたところが「まだ身体に入っていない場所」なので、そこだけ楽譜に戻る。繰り返すうちに、戻る回数が減っていく。

Field Note — 現在の取り組み

たとえば今、アレサ・フランクリンの「Think」のピアノバッキングに取り組んでいる。Blues Brothers のライブ版で有名なあのバージョンだ。

楽譜は起こせる。コード進行も把握している。でも音源を聴いても、どこか掴みきれないものがある。音は合っているはずなのに、なぜかあのノリにならない。調べながら考えていることを、正直に書く。

Think のピアノバッキングの核心は、シャッフルのハネとゴスペル的なグルーヴにある。アレサはもともとゴスペル出身で、あのバッキングには教会音楽の「身体で感じるリズム」が染み込んでいる。譜面に書けるのは「シャッフル」という指示くらいで、どのくらいハネるのか、どこで重さを置くのかは、楽譜には書いていない。

左手は単純に見えて、実はかなり重要だ。ルートと5thを叩くだけでなく、そのタイミングのわずかな「遅れ」がグルーヴを生む。きっちり拍頭に合わせると途端にのっぺりする。

右手のコードも、押さえ方より「離し方」の方が大事かもしれない。スタッカート気味に抜くのか、少し引きずるのか。そこで音の表情が全然変わる。

じゃあプロはどうやってこれを自分のものにしているのだろう。楽譜を見て覚えたあと、ひたすら音源と自分の音を聴き比べているのか。それとも、もはや身体に染み付いていて「考えていない」のか。正直、まだ答えが出ていない。でも「なぜ違うのか」を考えながら弾き続けることが、たぶん唯一の道だと思っている。

「忘れてもいい」という感覚

ブルースやファンクは、完璧に再現することがゴールではない。

コード進行とキーさえ体に入っていれば、細部は多少違っても成立する。むしろ毎回少し違う方が、このジャンルらしかったりする。楽譜を正確になぞることから距離を置いたとき、はじめて「あ、これがグルーヴか」と感じる瞬間がくる。

私にとってそれは、音を出しながら少し笑えた瞬間だった。うまく弾けたからではなく、音楽と遊べた気がしたから。

楽譜は入口だ。
でも、ずっと入口に立っていなくていい。

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kikka

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楽譜制作・アレンジャー / Atelier Note 主宰

国立音楽大学卒。現在アレサ・フランクリンの「Think」と格闘中。左手のわずかな「遅れ」の謎をまだ解いていない。

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